幼少の頃、食事に出されたもの…にんじんのグラッセ…暖かくて・柔らかくて・甘い野菜…などを残すと、母親から
「もったいない!」
と叱咤され、ここには書けないような残酷で・陰惨な仕打ちを受けました。



「もったいない!」という言葉の意味が、わからない。
つまり、この「にんじんのグラッセ」を今、食べようが、食べずに捨ててしまおうが、結局のところ、一緒ではないか? つまり…胃袋にしまって7時間後、排泄しようが、生ゴミにしてしまおうが、いったいなにが違うのか、食べたから元が取れるとか、そういう話でもないだろう、むしろ嫌な思いをするだけ、損をしていると考えられるのではないか、と思い、人の世の理不尽さ、慣習というものの無意味さに打ちひしがれました。



もう生きられない!



人は生きていくために意味を求める悲しい生き物です。私も例外ではありません。
そこで考えたのが、
人間には一生で摂取する総量、話を簡単にすると「何食食べる」というというのはだいたい決まっている。一食分捨ててしまうという事は、死ぬまでにさらにもう一食、食べなければならない。つまりその分のコストが余分にかかってしまう。それが「もったいない」という言葉の意味だと考えました。



「と、いう意味ですか?母様?」
と問うたときの、母様の顔、今でも忘れられません。