DQNについて真剣に考えてみた ー序章ー

DQNってわかる? 2ちゃんねる見ない人はよくわからないかもね。(そして2ちゃんねるを見てない人は、意外といる。知ってた?)

もともとはマミー石田なる人物が自分のホームページ「高卒死ねば?」で命名した言葉。かつてのテレビ番組「目撃ドキュン」に出てくるような「低学歴」であってなんらかの家族的問題を抱えちゃってる社会的一層を指す言葉。親の離婚でグレたヤンキーが非行と家庭内暴力を繰り返しつつ16歳で妊娠、高校卒業と同時に挙げた結婚式で涙ながらに親と和解する、みたいな、そういうどうしようもなく安っぽい人々。なんとなく言葉じゃ定義しづらいものの、なんとなーく地元の小学校の同級生で何人か、顔が浮かんじゃいそうな、そういう一群をさす言葉だったと思う。

彼の主張は以下のURLでよくわかると思う。
http://www.scenecritique.com/museum/home/mamy-ishida/hp/ko.html

この言葉をマミー石田氏が「発見」(諸説あるが)したとき、僕はものすごくすっきりしたのを覚えてる。土踏まずを蚊に刺された人が「かゆい」って言葉だけじゃ自分の感じているこの感覚を説明できないでいる時に「かゆい」と「くすぐったい」の間のもどかしさを言葉にしてもらったような、そんなかんじ。まぁそれまではきっと「ヤンキー」とかそういう言葉で代替してて、それじゃ少し説明不足を感じていた「存在」がいきなり言語化された瞬間だったわけ。

誰もが少なからず悶々としてたのだろう。少なくとも当時からインターネットをしていたような、そういう人種のなかには自分たちの外部にそういう存在がいることを痛いほど(ときには肉体的な痛みを伴って)知っていたし、なんとか言葉にして貶めたいって欲求が潜在的にはあったと思う。少なくともネットの中ではね。だからこの言葉(最初はドキュンだったけど)は話題にもなったし急速にネットに広がった。そして今でもごく一般的なネット語として認知されているんだと思う。

ここまではごく辞書的な説明。でも今じゃこの定義はそのままでは通用しなくなったんだ。確かに低学歴層には依然「DQN」は多い。あまねく蔓延してる、といってもいい。でも個人的な経験からして学歴のそれほど高くない人々のなかにも「DQN」的な匂いが皆無な人間もいるし、逆に高学歴な人間でも十分「DQN」の名を冠するにふさわしい人々もいる。それに今じゃこの言葉は人間だけじゃなく、会社や国家に対しても使われるようになった。ブッシュはDQN、とかね。
いったいなんなんだ。DQN
この疑問がこのテキストを書こうと思った出発点なわけなの。

うっとりと考える。今一度、考えてみるべきじゃないのかな。DQN。僕なりにいくつかの回答はある。だからこれから2年にわたって僕なりのDQN論を語っていきたい。そしてそれはきっと「僕」自身を浮き彫りにする作業でもあると、思うんだ。