母親

だいたい忘れっぽくて、根に持たないのだけど、母親にだけは許せないことがある。

そのときその母親の言葉に僕は傷ついて、ぐちゃぐちゃにされて、さらに打ち捨てられたような気分になった。人というのもは、他人に対してこうも悪意に満ちた行為をおこなうことができるのだろうか。信じられない思いだった。僕は引き裂かれた自我やら自尊心やらを両手でかき寄せながら嘔吐し、こう誓ったのである。

「たぶん、僕は、今日のこの日のことを、忘れてしまうだろう。だから、たったひとつだけ、たったひとつのことだけは、忘れないようにしよう」と。

もちろん、それが母親の、どのような言葉であったのか、仕打ちであったのか、もう今は思い出せない。忘れてしまった。昔のことだ。でも、だからこそ、ときどき、見知らぬ駅の伝言板に書かれた誰かのメッセージを目で追うように、そのたったひとつのことを心に反芻する。
「おまえだけは許さない。」